独りぼっちというのは心に堪える。多分私は独りぼっちは苦手だ。独りぼっちになると、悲しい環境に自分がいるように思えてくる。他人の笑い声や話し声が苦痛になる。他人とつるめない自分が嫌になる。だんだん卑屈になり、それがまた他人とつるむことをできにくくする。
一方で、集団行動が苦手である私の個性。誰かに縛られたくない。自由にしていたい。誰かに命じられて動くより、自分で計画して動きたい。誰かとチームを組んでその中で動くことより、自分の発案で動き、メンバーには従ってもらいたい。誰かに縛られるのが嫌だ。
独りぼっちが嫌い/集団行動が嫌だ、この二つの要素が同居している私の心は、折り合いをつけるのに相当苦労した。
まとめると、甘えんぼうなのに、我がままなのだ。こうやって言葉にすると、自分の幼児性が明らかになる。そして、つくづく救いようがないのが、人格に刷り込まれていて、矯正ができないことだ。これに気が付くのにだいたい40歳くらいまでかかった。
この性格傾向がいけないことだとわかっている。できる人は、どんな人にも愛されるし、思いやりにあふれ、調和を大切にする。私はそうありたい、と強く願ってきたが、願えば願うほど、自分の人格が乖離していることを痛感し、都度悩んだし、そして失望もした。
けれど、無いものねだりはしてもしようがない。
あると仮定して振る舞っても、すぐにバレるのである。他人に?、いや自分に。自分の中にないことを演じていると、人は病む。全ての行動や言動に対して脳を使って計算しなければいけないからだ。脳のリソースが枯渇気味になり、ある日外に行けなくなる。私はそこまでになるまでに気が付いたが、それでも苦しんだ。
この甘えんぼうの我がまま性格を、抱いて生きて行こう、とある日思った。変えるのではなく、受入れよう。でも他人様には迷惑をかけないようにしよう。できるだけ自分のままで、人に役に立てるようにしよう。そう切り替えてから、急に楽になった。楽になるならもっと早い方がよかったが仕方がない。
それからというもの、無理はしなくなった。できないとわかりきっていることはやらなくなった。集団の中にいるのは苦手なので、可能な限り一人で活動できるように環境を整えた。避けられない会合には参加するが、終わったらそそくさと退席することにした。でも、誰かと、1 on 1もしくは少人数で話をすることは苦手ではないので、その機会を増やした。社会的接触の回数は確保しつつ、集団に入ることは避けるような工夫をした。
一人で行動するのと、独りぼっちは違う、ということの本質に気が付いたので、一人で行動することを避けないようにした。自由が好きなだけに、楽しいこともあることに気が付いた。
できないことはやらない。できることをやる。ということである。