私は男であるが、子どもの時の家庭環境は女性に囲まれていたので、女性が周りにいること自体に何の抵抗もない。もしくは男性に囲まれているときよりも自然なのかもしれない。
学校では男女半々だったし、カリキュラムも一部は男女で違ったもののほとんど同じで、かつ成績も男女平等に競わされていたので、社会において男女は均等に扱われているものとばかり思っていた。
大学においても、男女は平等なんだろうと思っていた。
社会人になっても、まだその感覚は抜けなかったが、30歳になってくらいでようやく気が付き始めた。これはかなり男性優位なのではないか。
IT業界にいたので男性が多いとばかり思っていたが、それは違っていて、男性が会社における幹部として著しく残りやすい。
また、女性は、むしろ幹部になりたくない、という人も多い。幹部社会は男性中心で、そこに女性が入り込む難しさがあるから、だというのは今ならわかる。
ただ、小中学校の時は、むしろ勉強では女性の方が優秀だった記憶もあるので、能力的な差ではない、とは思う。
歴史を追っていくと、日本はとみに社会においては男性優位で、タリバンを非難している場合じゃないほど、男性は社会へ、女性は家庭へ、という社会だった。
女性解放運動は大正時代。本格的に取り組み始めたのは戦後、GHQが指示してから。法律は整えられたが文化として機能しているかというと、思い切り疑わしい。それは令和の世であっても。
感覚的には、女性はもっと社会で活躍できる。できるが、構成されている社会が男性中心であるので、例えば男性しかいない定食屋に女性が入って行くぐらいの抵抗がある。そして入ってきた時に男性が見せる、「え?」という反応自体が女性を委縮させる。
これは、逆に女性客しかいない洋服店に男性が入って行くのと同じなので、男女のどちらが悪いと言う話をしているのではない。なかなか、男女参画社会を形作るのは、非常に難しいという話題である。
すでに男性が占拠している分野に女性が入り込むことを狙って消耗するぐらいなら、男性があまり興味を示さない分野に女性が参入し、女性だけで市場を作ってしまうのも手なのかもしれない。労働環境も社風も、女性優位で進めるような活動があってもいいのかもしれない。男性とダイレクトに争うのではなく、女性だけで物事を進めるような場所を作り、男性を寄せ付けないというのが、むしろ「男性のやり方」ではなかったか。
女性が「男勝り」になるのではなく、女性がその特徴を活かして男性を寄せ付けないというのが、より良い戦略なんじゃないか、と思う。
私男だけど。