挫折しても人生は続く

人生

思い描いていたことが、思ってもいなかった原因で予想と違う方向に進み、嫌な気分になることは人生に良くあることと思う。

人間は欲張りなので、全部狙ったら全部欲しくなる。しかしそんなにうまい話はない。むしろ手を出した数が多い分、失敗可能性は高くなる。何か努力する人は、複数のチャレンジをすることが多くなるから、何か一つくらいの想定外の失敗は、むしろ当然のようにやってくる。

その度に反省していたら、せっかく澱みなくたくさんの努力をしていて、数多くのことが成功してきたはずなのに、足がすくんでしまう。

一個一個の成功を喜ぶことと同じくらい、一つの失敗もあっさり流してしまってよい。成功した時は運が良かったと思うくらいの原因分析なんだろうから、失敗した時は運が悪いと思うくらいの浅い理解で私は構わないと思う。

一つの失敗をくよくよしている暇があったら、次の成功を狙って歩き出した方が効率的だ。残念かもしれないが、それでも今日はあり明日も続く。成功も失敗も後ろにしかない物であり、前を向いて歩くことを決心しているのであれば、むしろ結果は一度受け入れたら、捨て置けばいい。

成功とか、失敗とか、タグ付けしたその結果ですら、例えば10年後に振り返ればタグごと古くなって何が書いてあるかも読めなくなるほどだ。

たくさんの、もしくはたった一つの失敗が、人の心をくじき、足を前に出せなくなるきっかけになる。成功は心地いいが失敗は不快だからだ。不快に弱い人は、いちいち立ち止まる。

今日の悪い結果は今日味わう。明日からは新しい日なので、明日には持っていかない。そしてまたたくさんのチャレンジをし、うまく行ったことは喜び行かなかったら悲しむ。それぐらいの価値しか実は結果にはなく、百回成功しても一回の失敗が次にやってくるのが人生だ。

むしろ、失敗のないことばかりを繰り返しても、成長がない。たまにやってくる失敗を持って「私もまだまだ失敗できるということは、伸びしろがあるってことだな」と胸を張っていいと思う。失敗をリカバリーすれば、さらに成長することがわかるのだから。

もっと雑に言えば、失敗をリカバリーしようがしまいが時間は強制的に経過する。仮に挑戦もせずそこに失敗もなかったら、単に平穏な日々が続いていたことになる。じゃあ、何もやらない方が不快もなく過ごしやすいではないか、という結論になってしまう。

そんなことはないよな、挑戦する人が一番偉いんだ。結果のタグが成功とか失敗とか、誰かが書き込んだ文字を大事に思う必要もない。むしろタグごと切り取ってどこかに投げ捨ててしまい、結果だけを胸にしまえばいいんだ。

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