この世の中は依然として競争社会だ

世の中

この社会は競争社会だって、私が小中学生の時は相当ダイレクトに教えられていたもんだ。中学生になって初めての中間テストの結果が帰って来た時、全科目の点数・平均点・自分の順位がまでわかって、私は歓喜したね。結果も良かったけど、何より自分の位置がわかるってそんなわかりやすい「俺ってできるやん」センサーないからね。自分の点数はいいけど、他人もいいんじゃねえか疑惑はあって、もやもやするより、あなたは同学年で1番です、って言われたほうが話が早い。

ところが昨今は、他人の成績なんか見えないようになってるし、むしろ通信簿だって絶対評価になっていて人と比べように無い。比べられないから競争できない。競走馬に、あなたはあなたらしく走って記録を伸ばそうねって言っても、燃えるわけないやん。競争の本質から外れているからだよね。

この世の中は競争社会だと定義すると、困るのが競争に勝てない人。100人いれば、競争に勝てる人って上の20人くらいでしょ。で30位~50位までは、世渡り方で椅子の場所がかわるけどむしろ社会をまわすために必要とされる。問題はそこから下で、どんな負け方をするかみたいになる。

私も場合は勉強であれば競争を勝ち抜けること自体を本能的にはわかっていて、それが見える化したから、競争しやっすい!と思ったわけだ。中学生で。

でも、競争しにっくい!と思った人もいるわけ。多くの人が。それで勉強やーめたってならないように目隠しするってのが今流。

そして社会に出たら、みんなどうなるかって、競争社会の現実に立たされるわけでしょ。結局そうやん。どこいても競争やん。じゃあ競争するならいかにうまく競争するかがやっぱり大事なのは今でも変わらないよこんなの。

今はそれで、ネットがあるから、一つの道だけじゃないって多少わかってるわけやん。なら、競争するならこっちの道の方が勝ちになりやすいな、とか誰でもやらなきゃいけないと思うわけよ。

どんな道に行っても自分を活かして自分らしく、とか、あほらしくてかなわん。

自分が活きる道なんて、ものすごく限られてるんよ。そこをどう見つけていくかが人生の歩き方。どんな道にでも行けるようにはさっぱりなってない。

挙句の果てには、結局は、負け組の人がいて勝ち組の人がいる、じゃなくて、勝ち組の人しかいなくなる。これが現代の特徴なんだと思う。なぜなら、負け組の人に配るような仕事を、どんどん機械が肩代わりしているようになってるから。

最近のすかいらーくグループのレストランにご飯を食べに行くと、機械のネコちゃんがごはんをもってきてくれるわけよ。

その仕事なくなったなと。

ご飯を持ってくる天才なんかいるわけもなくさ、機械があれば機械が全部仕事取っちゃうよね。

だからさ、ほんとに、競争社会の前提は絶対に忘れないで、勝てるところで活躍して。

勝てないところで留まって、消耗しないで。

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