主語は大きければ大きいほど

世の中

Xにて拡散している件があり、推移を観察している。収まったかと思えばまた再拡散して勢いが止まらない。きっと、関心のある人が多い。言わずにはいられない、そして思い当たる節がある、ということだろう。

反対意見が圧倒的なら「炎上」と言うんだろうけど、半々だと「賛否両論」と言うんだろう。逆に賛成ばかりだと、経験的にあまり拡散しない。両論がぶつかり合うのでエネルギーが生まれ、話が展開したり新論が出てきたりもする。

ものすごくいいことを言ったとしても、関心が少ない話題だと誰も反応しない。SNSの場合より反応を得られる方が楽しい性質にあるので、関心を集めるためにも、主張の範囲を大きくする。これを「主語が大きい」と人々が呼ぶようになっている。

今回の拡散の話で言えばもともとは「インフラエンジニアは・・」が主語だった。

しかしいつの間にか「女性は・・」に話題が推移している。男性中心の職場に女性が入りにくいことについての話となり、それならば、というのでたくさんの人が反応することとなっている。それだけ実際に、嫌な目に遭った女性も多いと言うことと、男性側も印象に残る事象を知っているということだろう。

主語が大きいことについてはSNS上で批判の対象になる。それは、人々の関心を得たくて、話を盛っているのではないかという、投稿者への批判だ。そうなると議論は脱線して話にならなくなってしまい、拡散はそれ以上しない。主張している内容が主語の大きさに対して、正確性・客観性を伴っているかについて、読んでいる人も厳しい目を光らせているのだ。

そんなメカニズムを乗り越えてるから、拡散するものってのはすごく拡散する。世の中のニュースで例えれば、テレビ局の不祥事なんて他局でも定期的に発生しているのに、なぜ今回フジテレビがこれだけ大きく問題になっているかだ。

つまり、主語が大きいのだ。国民の誰もが知る人が関わっている。だから皆問題視し、発言し、そして対応せざるを得なくなっている。それぞれの不祥事の大小どうこうより、主語の大きさが波紋を大きくしている。これはSNSと同様のことが起きているな、と思った次第だ。

世の中における様々なこと、一つ一つは関係ないように見えて、共通の法則性がある。理解を重ねていくともっと社会がわかる。過去の歴史も勉強しながら、もっと力をつけていきたい。

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