「下請け」の表現が「中小受託事業者」に改められます。
FNNの取材によりますと、政府は、法律上の「下請け」という用語が上下関係を示すものだとして、次期通常国会に提出する法律の改正案で、「下請け事業者」を「中小受託事業者」に、発注側の「親事業者」は「委託事業者」にそれぞれ改める方向で最終調整しています。
言葉だけ変えるだけでは意識は変わらない。わかりにくくしたところで、発注者と受注者が上下関係である事実は変わらないのだから、関係性も変わるはずがない。
NHK放送博物館で一つ面白い資料を見た。
NHK歳末助け合い旬間、これは令和の今でも行われているイベントであるが、1952年のポスターである。この下部に書かれている文章に注目頂きたい。
義捐金は12月28日まで全国郵便局で受付けます。皆さまの心のこもった義捐金は気の毒な人達に届けられます。
いかがだろうか。今、「気の毒な人達」と言うと別な意味にならないだろうか。
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■古い意味
「気の毒」という言葉自体は、元々「気」(精神や気持ち)に関する言葉でした。「毒」は、単純に悪いものや害を意味する場合が多く、古語では「気の毒」は「相手の気を害すること」や「申し訳ない」という意味で使われていました。この頃は、相手に対する謝意や配慮が強調された使い方が主流でした。
■江戸時代以降
江戸時代ごろから、「気の毒」が「相手の不運や苦境を心に留めて、同情する」というニュアンスに変化していきました。この変化は、日本文化の中で「他者への配慮」や「共感」が重視されるようになったことと関係があります。その結果、「気の毒な人」という表現も、単なる「申し訳ない」から、「同情すべき状態の人」を指すように意味が広がりました。
■現代のニュアンス
現代では、「気の毒な人」が場合によっては皮肉や侮蔑を含むこともあります(例:「あの人、本当に気の毒な人だよね」)。こうした使い方は、言葉の柔軟性や文脈に依存しており、近年の社会的変化や言葉遊びの影響で広がった可能性があります。
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このように、同じ言葉であっても使う人間の気持ちで意味が変わってしまう。つまるところ、下請けや、親事業者、と言う言葉を廃したところで、上下の意思がある限りその言葉に意味はこもってしまうと考える。
昔の史料を博物館などで拝見すると、今では使っていけないような言葉が平気で使用されていて、それは当時の人々にデリカシーが無かったのではなく、意図が無かったということを示すのだろう。
言葉遊びをする前に、ちゃんと法律を運用し、対等な関係性を保証して欲しいものだと思う。