AWSが出て来た頃のこと

IT業界

AWS。誰しも知っているクラウドサービス。日本のリージョンができたのは2011年。この頃のことを思い出す。正直言ってほとんどのインフラエンジニアはみんなバカにしていた。こんなものが流行るわけがない。そもそもAWSの基盤はXenを使っていてVMwareじゃなかった。当時仮想基盤と言えばVMwareが圧倒的だ。VMwareで仮想基盤を作り、なんちゃってクラウドを公開するのが流行っていた。中身は単なる仮想基盤だった。これは私も主管になってやったことがある。

なんちゃってクラウドは、データセンターの中にオンプレミスで構えるだけだったので、他のデータセンターとはつながっていない。今のパブリッククラウドが幾多のデータセンターの連なりであり通信回線でつながりあっているのとはわけが違う。せめて災害対策用に、別のデータセンターを借りて回線をつなぐぐらいのことしかしていなかった。

しかし、なんちゃってクラウドすら運用するのは非常に大変だった。仮想基盤に入ってくるトラフィックを捌くのも技術が必要だったし、ネットワークやストレージのお守りまで付いてきた。クラウドとして売るが、中身は地面にあるので這いつくばる日々。ハードウェアやソフトウェアのバージョンアップが必要になったり、性能が足りなかったり、ファームウェアの不具合に遭遇したりと、きつい思い出しかない。きっと、まだ大型仮想基盤に対する知見がベンダー側でも少なくて、今では考えられないような不具合も多数含まれていた時代だった。

だからこそ、AWSが抱えるビジョンに対して、「そんなことできるわけないだろう」「大きな問題を引き起こしてきっとビジネス自体がぽしゃる」と、冷ややかに見えていた人が多かった。オンプレに比べて価格競争力もあったが、「きっと安かろう悪かろう」「品質は良くない、に違いない」「裏がある」と会話していた。

俺たちがこんなに苦労しても頑丈な基盤を作るのは難しいのだから、世界規模?そんなことできるわけないし、ユーザーは怖がって使わないだろうと思っていた。

ところが2012年、東日本大震災が起こる。この時私は、東京都心の雑居ビルで商談をしていて、その後ビルから追い出され、徒歩で歩いて帰ってしまった。7時間くらい歩いたかな。今の常識だと危ないから留まれ、らしいが当時は混乱状態だったので歩道は人の山だった。地震後、携帯電話が全然つながらなくなり家族にも連絡は取れなかったが、データセンターは無事だった。その頃からインターネットの災害に対する強さ、みたいなものが国民全体に意識されだした。

非常時は非常時でシステム構築のニーズは高まり、すぐにでもインフラ基盤が欲しいが、普通にデータセンターを借り、サーバーを買って、ネットワークを整えて・・設計して、となると半年くらいは普通にかかった。しかしクラウドなら簡単で、しかも使い終えたらすぐ捨てられる。AWSのニーズが急増したのはそれからだ。そして、急増に対して、相応した品質であったことで、パブリッククラウドを使うことと、信頼性が結びついた。これはインフラエンジニアの感想ではなく、ユーザーの感想だ。ユーザー自体がAWSを好み始めた。

だから、強調しておきたいのは、インフラの専門家たるインフラエンジニアがAWSを選んだから、AWSが流行ったのではない。ユーザーがオンプレではなくAWSを選んだのだ。少なくともその当時はそう。ユーザーがAWSを使うというのなら付き合います、と言う具合にインフラエンジニアは巻き込まれていった。

そこから、AWSの競合としてのAzureやGoogle Cloud、その他が生まれたが、一方で、VMwareなどのオンプレ仮想基盤もまだ生きている。

つまりは、オンプレの方も市場は小さくなっていない。クラウドは巨大になった。それぞれの特性を考えていいように使われているのが現状だ。一言にインフラエンジニアといっても、オンプレ寄り、クラウド寄り、と色々ある。

あの頃AWSをバカにしていたインフラエンジニアたちも、実際は平気な顔でAWSを使っている。なぜならユーザーが望むからだ。本人がどんな思いだろうが関係なく、時代に飲み込まれていく。利用を決めるのは専門家ではなく、ユーザー自身である。

今ではAWSをバカにするなんて考えられないだろうから、昔話として書いておく。

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