他人の意見、SNSやってるとたくさん目にすることができる。まずは自分自身の意見表明をやってみて、それで反論が多ければ炎上という。まあ炎上みたいに怒りや批判中心だと読む方もげんなりするので、賛否両論くらいがちょうどいいかな。
賛成寄りの意見は見ていて楽しいし、誰かと共感できるのはうれしい。その一方で反対寄りの意見もある。そもそもの意見表明自体を叩いてくる人もいるし、読み間違えからの誤解ってのもある。反対意見というのは多少、見るとマイナスの感情、ストレスみたいなものを感じることもある。
一昔前なら、ミュートを駆使して見えなくしたもんだけど、最近私はミュートを使っていない。結構反対意見って、何かしら自分が気付いたものが含まれていて、学びの機会がある雰囲気がある。私も頑固なんで反対意見にすぐ傾くことは絶対にないけど、ああそんな見方をすれば反対の立場になるんだ、と感心することは多い。
賛成意見だけではなく反対意見すら学びにしてしまう姿勢は、ある程度の感情の揺らぎを制御しなきゃいけなくて、全ての反応を平等に横に並べて理解して行く作業となる。で、その結果賛成でもなく反対でもなく、また新しい発想を持てるようになる。
「私はこれは思い込みだ」と考えていたことが実は現実で起きていると教えてもらった。でもその現実も、とても珍しい事例で、無視していい頻度の発現回数かもしれない。所詮意見を集めたところで、多い方が勝つわけじゃないので正しさはわからないが、私の中の引き出しだけは増やすことができる。普段は社会の人々とお話できる機会は極めて少ないので、SNSの交流は、発想を広げてくれるのは間違いない。
実際、世の中を「正しさ」で測るのは間違っていて、色んな正しさが散らばっている。全体の傾向はあるのかもしれないが、個別で答えが全く違うことがある。それは地域性や組織リーダーの特徴、歴史や文化も絡んで、複雑に絡み合っているのがこの世の中だ。
だからこそ、反対意見すら、引き出しに入れた方がいい。某テレビ局の案件もそうだが、「ええ、そんなことが令和の世にも起こりえるの?」って時代だ。
「何が起こっても変じゃないそんな時代さ覚悟はできてる」って昔ミスチルが歌った(Mr.Children 【es】~Theme of es~)けど、まさにそんな時代である。